ただ物語り

浮き草という奴が創作に興味がある名残でいろんなことを気にしてみるブログ。

知恵も知識も知性も欲しい話

今日もゆらゆらな気分の浮き草です。

当ブログは好きな物を好きなように語っていこう!がコンセプトなのでそういう話もちらほらしたい。

 

子供の頃から、ふわふわと想像するのが好きだった。

内容は覚えてなくても何だかんだアニメを見てたり、ソフト数は少なくても小学校に入った頃にはゲームボーイカラーで遊んだり、そういう作り物の世界が間近にあった。

あまり学校という場所にいいイメージもなく、友達もいないに等しかったので、つまらない学校という現実の世界より、ポケモンやら何やらの世界の方がきっと心の中で豊かに広がっていたと思う。

ただ学校という巨大な箱の中を行ったり来たりするだけの事に、そう重きを置けなかった。母校などという単語があるが、母という字を当てるほどの情がろくに湧かない。

 

そんな自分であったので、この頃からオタク寄りな気質はあったのかもわからないけども。

大きくなれば触れる「作り物の世界」も増える。

それで「所詮作り物」と見切って世間話のネタ程度にしかならない人が非オタになるんだろうな、と思う。私はきっとそうならなかった。

物語上での元ネタになる知識を知るし、製作過程を知るし、作りたい!の情動が微かに芽生えた。

 

しかし完成までの壁は高く分厚い。中高生とかで凄まじい作品を作る人は本当に凄い。

そうしている内に現実という足枷が重くなっていった私はそういう人間ではなかった。

元になる知識がない。それを活かす知恵もない。それをどう訴えようという知性も欠けている。そう考えている内に無情に時間は過ぎる。

時は金なり、という言葉は未成年の時分から聞きまくっていた。しかし、その程を実感したのは社会人になってからである。休日は宝石のように貴重に思えるし、帰宅してから寝るまでの時間の使い方にも思考を巡らせるようになる。こうして文章を書いていると数時間もあっという間だったりするけど。

ことわざでは効き目がなかったから過去の自分に届くかもしれない言葉を考えるならそうだな、「人生はタイムアタック、最短かつ最適な時間の使い方を心がけるんだぞ」ですかね。

ほら、制限時間内にクリアとかより多くのポイント稼ぐ形式のゲーム、あるじゃない?

あれと同じだよ、きっと。

 

話題から大分逸れたけど、何かを作るに当たって知のつく諸々は大事だと実感したなと綴りたいだけです。

義務教育段階からバカにしたものではない。教育指導要領とかそこらの話はさておくとしても、その内容を理解しているからこそ自分の中で醸成されるエッセンスはあるのだと書き留めたい。

私は偏差値の高い大学に行ける学力はついぞ持たなかったし、理系科目に至ってはわかりやすく壊滅していたアッパラパーな頭だったので、いろんなメディアで「こういうのを理解できたら絶対この作品もっと楽しめたのに…!」というのと出くわす。

物理学、化学、生物学、数学…その他色々。受験勉強外なら言語学だの法学だのその他色々。

義務教育外であっても、例えば美術品と接しての情動であるとか、博物館で学べる知識の数々とか。身近にそんな人がいればその人から学べるあれそれだとか。

こういうのを覚えたら忘れない頭が欲しいだけの人生でした。

 

それでも、微かな知識とか靄のような情感とか、一つ一つはつまらない物であってもそれを蓄積し続ける価値はあると信じています。

世界は広く、価値観は様々で、いろいろな人がいて。

自分が他人とは何が違って、何が変わらないのか、そういう気づきを得ることができる。それを経て、自分がどうしたいかという辺りに自分の本質はある。

後先考えずにやりたいようにやるにしても、戦略立ててやるにしても、そういうことは必要な気がしている。

 

つらつらと書いてたらまとまりのない話になってきた。

元になる知識、それを活かす知恵、それをどう訴えかけるかの知性、ありとあらゆるそんな物が欲しいって話だったのにな。

昨今掃いて捨てるほどある剣と魔法のファンタジーものにしたって作者の下地にある知識や工夫で大分差異はあると思ってるし。描写は作り手の内面を伺わせるから。

まあリアルとリアリティの違い云々は過去に誰かが考えてそうだし、眠くなってきたので今回はここまでにしておきます。

でもしばらくは文章を書くようにしよう。

 

近日、ライダーと並行で見ていた「快盗戦隊ルパンレンジャーVS警察戦隊パトレンジャー」が最終回を迎えるから、その全体的な感想でも考えて書くかなあ。